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【告白】僕が後悔している事

渋谷のスタートアップ。クリエイティヴなオフィス

今日、とあるスタートアップの企業に仕事の打ち合わせで行きました。

そこは、あるサービスを手がけている会社で、社員数20人くらいで渋谷の雑居ビルの一部屋の中でみなさん仕事をしていました。

そのサービスはいわゆるクリエイティヴ界隈の人なら知ってるサービスで、そうじゃない人たちも知ってる人は知ってる、という。
決してみんなが使うようなスーパー有名サービスじゃないけど、自分たちの守りたい世界とそれを好む人たちが集まってくるサービス。社名とかサービス名言わないで説明すんの難しいな。

で、ですね。まあ多分、すっごく趣味持ってる人たちが集まってるオフィスなんですよ。それがすごく伝わる。それぞれ好きなものはバラバラなんだろうけど、何かに対する愛情とか執着みたいなもの特有のエネルギーを感じたわけです。

ああ、いいなあ、と思いました。なぜなら僕は、自分の好きな事、自分が熱中したい事を投げ出してしまったからです。

好きなものを諦めた理由

最近でこそ機会があれば隠さずに話すのですが、僕はもともと、漫画家になろうと思っていたのです。小学生の時から、ずーっとです。

だから大学生になっても、就活なんてしないで漫画書いて夜行バス乗って神保町のとある有名出版社に持ち込みしてました。デビューはしなかったけど、一応担当編集みたいなのがついてくれました。

そもそも、漫画を書いているということも学生時代は他の誰にも言っていませんでした。あ、付き合っていた女の子には言っていたけど。

理由はシンプルで、恥ずかしかったからです。今でこそ漫画やゲームもそれなりに市民権を得てきましたが、当時はそれらは完全に「ヲタ」のものでした。

僕は手塚治虫に憧れていました。浪人時代から、「火の鳥」や「アドルフに告ぐ」を貪るように読みました。

火の鳥(手塚治虫/未完) | Strobolights
手塚先生は『火の鳥で、過去の話を書いたら、未来の話を書いて、次の過去の話と、だんだん時代の間隔が短くなって、最後は原稿を書いている自分の部屋で終わりたい』とおっしゃっていた
アドルフに告ぐ | Strobolights
自分で傷つきながら、でもそうせざるを得ない。それを言ってしまったら絆にヒビが入る事が分かっていながら、相手を否定するような言葉を言ってしまう。

世間一般的には「小説>漫画」という格付けだと思いますが(当時も今も)、「漫画でもこんなに素晴らしい表現ができるんだ」と感動していたものです。

だから僕は、手塚治虫みたいな、人の人生観そのものを変えてしまうような漫画を書きたいと思っていたのです。また当時村上春樹にどハマりしていたこともあって、村上春樹のような純文学(っぽい)作品も書いてみたいと思っていました。

ただ世間一般的には、漫画というと巨乳で童顔な美少女が活躍するものを真っ先に想像されがち(と、僕は思ってました)で、漫画を部屋で書いているなんて言おうものなら人格否定されるに違いないと思っていたのです。

勿論、そんなのは僕が勝手に思っていた被害妄想です。実際、付き合っていた女の子何人かには意を決して告白し、実際に読んでもらったりもしました。付き合っていたからというのもあるかもしれませんが、誰もきもいとも言いませんでした。

ただ、僕にとってはコンプレックスでした。
浪人時代を経て大学に入学し、下宿生活をすることになって部屋探しをする時、僕はわざわざ漫画の執筆に没頭できるように生活空間と別部屋で机が置ける部屋を選んだのです。
漫画に没頭しよう、と思っていました。僕にとっての大学生活は、漫画家になる前の準備段階のはずでした。

ただ、大学生活が楽しかった。入学してすぐに彼女ができました。友達と遊びに行く機会も増えました。
そうして何となくの平凡な青春生活を手に入れてしまった僕は、自分のやりたい事に向き合おうとせず、騙し騙しやって逃げ続けました。

漫画を描くための買った机は、いつしかただの物置になり、書きかけのままのネーム原稿が中途半端なところで命を失っていました。

そうしていよいよ自分の進路を決める時になって、ようやく漫画に本腰を入れようと思ったのですが、もう漫画に対する情熱みたいなものはかなり弱まっていました。現実的な思考をしてしまい、せっかく大手漫画誌の担当編集がついたのに、「就活しよ」と思って今の会社に入ってしまったのです。

好きなものにはブレーキをかけないほうがいい

これは僕の人生訓の一つです。

僕は、好きなものにブレーキをかけてしまった。世間体を気にしてしまい、自分の好きなものを好きになりきれなかった。

冒頭で紹介した企業のオフィスには、「好き」を追求したまんま大人になった人たちが集まっていました。みんな生き生きとしてました。
一方僕は、完全に、すっかりとサラリーマンになってしまいました。彼らのようなフリーダムな生き方もセンスも持ち合わせていません。
僕がもし、あのまんま自分の「好き」を追求していたら、漫画家になれたかどうかはともかく、多分きっと面白い大人になってたんじゃないかなあと思うのです。

「やりたいことを探す」という言葉は僕は好きではないのです。やりたいことなんて探したって見つかるかどうかはわかんないじゃん、と思うからです。
でも、「好き」なことは誰だってあると思います。程度の差はあるかもだけどね。

だから僕は、「好き」なことには向き合って欲しいなと思うのです。好きなもんは好きなんです。それを否定することなんて、ない。

僕もそれ以来、自分が「好き」と思った感情には素直に従うようにしています。

人生がちょっと、ストレスフルじゃなくなった気がしています。

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