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名前について

”君の名は”がヒットしたこととは全く関係ないのだが、僕は名前という概念に少々めんどくさいスタンスをとる人間だ。

僕にとって”名前を呼ぶ”とは、その対象となる人の事を世界の中にどう位置づけるか、という作業を意味する。どういうことかというと、さして親しくない人をあだ名で呼ぶことはできな
いし、付き合ってもいない女の子のことを下の名前で呼ぶことができないのだ。女性の知り合いに至っては、どんなに親しい人でも”さん”づけで呼ぶ。

嫌悪感を持っている人に対しては、名前を呼ぶことすらできない。さんづけでも、呼べない。名前を呼ぶと、その人の存在を世界に承認してしまうことになるからだ。

これはもう、生理現象といってもいい。些細なことだし、どうでもいいことだと思われると思うが、とにかくそうなのだ。

僕にとって、名前とは、そしてその人をどう呼ぶか、ということはとても大きな意味を持つ。

今日、随分と久々に目にする名前を、スマホ上で見つけた。
たかだか四文字の漢字なのだが、その文字は、何かとても特別な意味を持つ組み合わせに見えたし、デジタル情報をただ表示しているに過ぎないディスプレイ上のその四つの文字は、まるでそのために書かれたかのような特別な存在感を持っていた。

僕にとって名前とは、そういう存在なのだ。とても、意味を持つ概念なのだ。

一方、最近こんなことがあった。
まだ知り合って数回しか会ったことないのだが、妙にシンパシーを感じる人がいる。数回のうちだが、結構じっくりと話す機会があった。どんなことを考える人なのか、そして僕はどんなことを考えるのか、限られた時間のわりには、お互いなんとなく知ったんじゃないかと思う。

ただ、僕は、なんとその人の名前をまだ知らない。顔を見れば「ああ」ときっと手を上げて挨拶するくらいの仲だとは思うのだが、名前を知らないのだ。

でも、僕はきっと、「君の名はー」なんて尋ねたりはしない。だって正直、今更過ぎて、逆に失礼なんじゃないかと思うからだ。
そして僕の中で名前を持たない彼女は、きっと僕の中の世界観では意味を持たないし存在しない。

名前は、重要だ。僕は名前を呼ぶことでその人を僕の中で定義するし、僕は名前を呼んでもらって初めてその人の世界の中で意味を見いだすことができる。

そんなどうでもいいことを考えながら、僕はいろんなことに頭を巡らせる。

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