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自分にとっての幸せが何かを知ることが重要

取捨選択こそが人生

例えば、だが、あなたならどっちがいいだろうか?

⑴周りにペコペコしたり辛いこともじっと耐え、ストレスを日々抱えながらも会社での評価は高く高給
⑵マイペースで日々のストレスは多くなく、のびのびと自分のやりたいことをやっているが周囲からの評価は高くない

これ、会社人生だとあるあるなケースだと思う。

めちゃくちゃ当たり前のことだが、人生においては正解なんてない。残念ながら、ないのだ。

また、20歳くらいになったら流石にもう気づくだろうけど、世界はあなたのものではない。残念ながら世界を変えるのはあなたじゃないのだ。

何が言いたいかというと、不確実な人生において、僕たちは何かを犠牲にしながら何かを得なければならない、ということ。すべて手に入る、なんてことはないのだ。

そうなってくると大事なのが、自分にとっての幸せが何か、ということ。このことをしっかりと理解している人間が幸せになれるのだ。

やりたいことを探すより大切なこと

僕は「やりたいことを探す」ということについてはとても否定的な人間だ。やりたいことというのは自発的に生まれてくるものであって、「探す」ものではない。言葉のニュアンスの違いかもしれないけど、「やりたいことに出会う」ならまだ分かるんだけど。

加えて、産業構造が大きく変わる現代において、今現在ある仕事が未来永劫続くなんてことはない。おそらく今の仕事の大半が、10年後には消失しているだろう。そう考えると、今現時点の選択肢からやりたいことを”無理やり探す”ことに意味があるとは思えないのだ。

だいたい、やったことないのにやりたいと思うこと自体が危険だと思う。ちょっと体験してみたい、なら分かるけど、それを仕事にしていくとなると話は別だ。となるとやはり、やりたいことというのはこれまでやってきた経験の中にしかないのだと思う。

話を戻す。やりたいことを見つけるより、「自分が何に対して幸せを感じるか」を明確にしておいてほしい。もしくは「これだけは我慢ならないもの」だ。

どの道を行きたいか。選択を間違えないために

生きていると、他の人のことが羨ましくなったりするものだ。隣の芝生は青いじゃないけど、自分じゃない道を歩んでいる人がやたら眩しく見えるものなのだ。

ただ、社会人になると一つ一つの選択肢の重みが増してくる。他の人が羨ましいと思った時にこそ、自分にとって大切なことを改めて考えて欲しい。いっときの欲求に従って、本来進むべき道を踏み外すと大変なことになる。

先ほどの選択肢を改めて見てみる。

⑴周りにペコペコしたり辛いこともじっと耐え、ストレスを日々抱えながらも会社での評価は高く高給
⑵マイペースで日々のストレスは多くなく、のびのびと自分のやりたいことをやっているが周囲からの評価は高くない

恐らく⑵の人が⑴を真似するととても辛い日々を送ることになるだろう。⑴の人なら耐えられることが、⑵の人には苦痛以外の何物でもないのだ。逆に⑵になるためには自分なりの「やりたいこと」が明確になっている必要がある。特にやりたいこともない場合、⑵みたいな状態になると途端に絶望してしまうはずだ。人は自由を求めるけど、自由というのはある人にとっては苦痛なのだ。

これは、願望や希望の問題ではない。自分の適性に関する問題だ。だからあなたは知るべきなのだ。あなたが何に幸せを感じて、何を辛いと思うのかを。

改めて、考えてみてほしい。

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