【ネタバレあり】秒速5センチメートルと君の名は。の違い

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【ネタバレあり】秒速5センチメートルと君の名は。の違い

*ネタバレ前提です。これから見ようと思ってる人は、そっとじ推奨です。

秒速5センチメートルと君の名は。

何年前のことだったか、そして何がきっかけだったかはっきり覚えていないが、深夜、一人で秒速5センチメートルを見た。確かitunesでレンタルしたんだっけ。

まあ、結構な衝撃だった。おそらく大多数の成人男性が受けるであろう衝撃と胸の疼きを僕は覚えた。そして新海誠という天才の存在を認知した。
そして先日、新海誠の新作「君の名は。」を見た。感想は下記をご参照されたし。

[clink url=”http://strobolights.xyz/web/2016/09/11/yourname/”]

僕にとって、新海誠というのは秒速5センチメートルだったのだ。だから「君の名は。」に違和感を覚えた。
とか言いながら、実は昨夜、出張の夜に現地の同僚と「君の名は」をもう一度見た。二回目見た感想はまた書くとして、鑑賞後の飲み会でこんな会話があった。

「”君の名は。”をどうすれば、秒速5センチメートルにすることができたか」

というわけで、今日、秒速5センチメートルを改めて見てみた。数年ぶりのことだ。

秒速5センチメートルが描きたかったものとは?

この映画の感想は結構真っ二つに分かれる。男と、女によって、感想が異なることが多いのだ。
これは、恋愛についてのスタンスの違いと同じで、俗に言う「男の恋愛は別名保存、女の恋愛は上書き保存」というやつだ。

つまり、主人公の貴樹はずっと明里を思い続けていたのに、明里はちゃっかり別の人と結婚して超幸せそうで、踏切の向こうにもう彼女の姿はなかった、という描写が、男の心をえぐるのだ。いつだって、未練タラタラなのは男の方で、女の子はもうとっくに自分のことなんて忘れていて、新しい別の男を見つけているものなのだ。そしてかつてはあんなに自分に向けられていた熱い視線が、もう今は他を向いてしまっている現実に、僕らは何度となく打ちのめされ、絶望してきたのだ。

多分、男にとっての秒速5センチメートルって、そういう映画だと思う。胸を、静かに、でも容赦なくえぐるのだ。
でも、上書きが当たり前の女からすると「なにこれ?」な映画なわけだ。

ところがところが、それは映画版の演出による効果なのであって、実は裏話があるらしい。なんと貴樹はとっくに明里のことなんて忘れているのだとか。
それは新海誠の小説版に描かれているそうで、「女の上書き保存」は真実の物語の要所要所をつなぎ合わせた映画版ならではの解釈だそうだ。
この辺りは、下記のリンク先に詳しい。小説版の概略が書かれているので、読みたい人は見ないほうが良いかと。

新海誠の小説から読み解く「秒速5センチメートル」ネタバレ解説
映画「秒速5センチメートル」を廻る旅もいよいよこれで最後です。 新海誠監督が執筆した小説版「秒速5センチメートル」を読みました。 今までマンガ、もう一つの小説と読んできましたが、本書が映画の補完版となってます マンガは独自ストーリーが入っており、「one more side」はヘンテコな世界にぶっ飛んでます。 違和感なく読めたと思います。 本書は173ページと短めで、映画をなぞって終えます。 ところどころ心理描写が入る形です。 桜花抄は貴樹目線、コスモナウトは花苗目線、秒速5センチメートルは貴樹目線と一部明里目線が入ります。 一番の発見は、3話目の「秒速5センチメートル」が詳しく書かれてあるところですね。 大学生時代、就職などについて映画では知ることができなかった部分が書いてあり、これを読むとかなり映画の話も、もやもやも納得できると思います。 では、以下ネタバレ解説します! 1.桜花抄の時の貴樹の想い 小学生の頃、貴樹や明里はクラスメイトからからかわれるとすぐに傷ついてしまうような性格だったが、お互いがいれば何も怖くないと思っていた。 卒業式のときに、今まで明里の存在だけを頼りに僕はやってきたのに。 とあるように、外部の力で”奪われた”という思いを強く感じている 中学校では、サッカー部に入り、友人もできて、急に1人で過ごすのが苦痛になった。 明里のいない世界に馴染もうとしていた時に届いた手紙に戸惑ってしまった ・・・新しい中学校で明里はあまりうまくいっていなかったので、支えを求めて貴樹に助けを求めたものだと思われます。ですので、手紙も1人電車の中で書いている。 文通が始まることで、自分のことをわかってくれる誰かがこの世界にひとりだけいるという感覚が僕たちを強くした。 ・・・明里も同じ気持ちで、結果的に彼女は再会後から少しずつでしょうが、うまくなじんでやっていけたのだと思います。 無事に再会し、キスをした。 この瞬間に貴樹は世界の真実を知る。 僕たちはこの先もずっと一緒にいることはできないのだと、はっきりと分かった。 僕たちの前には未だ巨大すぎる人生が、茫漠とした時間が、横たわっていた。 貴樹が2週間かけて書いたラブレターは風で飛ばされていなくても、渡せなかったかもしれない。

ちなみに、遂に渡されることのなかったお互いの手紙もちゃんと本文があるそうです。それについてはこちらを。

http://nocturnetsukubane.blog.fc2.com/blog-entry-35.html

君の名は。は、こうなれば秒速5センチメートルになった

さて、記事冒頭の同僚との飲み会での会話の話。

両方見た方なら言うまでもないが、二つとも、ラストシーンが同じ。踏切か階段かという違いはあるものの、青春時代にかつて惹かれあった二人の男女が大人になり、東京のどこかの街ですれ違う、という。

秒速を見ていた人からすると、君の名はのこのシーンは「うおおおおおおおおおおおおおきたああああああああ!」という感じだろう。実際、僕もそうだった。
ただ、ここで秒速ファンは裏切られるわけです。
だって、振り向いちゃんだもん。そして、二人は再会しちゃうんだもん。

秒速ファンが期待していたのは「それでもすれ違う男女の距離感」だとすると、やはり最後のシーンで、あそこまで引っ張っておいて結局お互いすれ違ったなら、秒速ファンは歓喜の嵐だっただろう。

でも、きっともしそういうラストだったなら、ここまでの世間一般的大ヒットはせず、新海誠は結局知る人ぞ知るアニメ監督だったと思う。そういう意味では、まあ、良かったんじゃないかなとも思う。

ただ、改めて秒速5センチメートルを見て、やはり「君の名は。」のラストはお互い再会すべきだったんだな、と。秒速と君の名はの決定的な違いは、秒速はもう、次のステージに進んでいる男女だということ。純愛はもう、かつての話。確かにお互いにとって大事な出来事だけど、過去は過去。明里に至っては、明確に、もっと幸せな段階に進んでいるのだ。

だから、あの二人は会えなかったんじゃなくて、会わなかったんだろう。そう捉えることが自然。

逆に君の名はは、お互いすんごいことしてきたんだけど、二人の中ではそれらの記憶はない。お互いの過去と現在がプッツり切れてしまっている。
そしてまた、お互い悶々としているわけで、次のステージがまだ見えていないわけだ(三葉はどういう生活してたのかよく分からないが)。

だからお互いが再会することで、次に進んでいくことができるわけだ。

うーむそう考えると、「君の名は。」は、秒速のカウンタームービーなんですかね。アンサーじゃないもんね。
そういう視点で見ると、もう一度見たくなるから困ったものです。

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