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行動が全て。言葉は、誰でも言える。

昔、こんなことを言う人がいた。

「言葉なんて、誰でも何とでも言える。だから私は、あなたの行動で判断するしかない」

別に僕が彼女に嘘をついたわけでもないのだが、これは彼女の人生哲学のようなものなのだと理解していた。

ただ最近、この言葉の意味が遅ればせながらわかってきたような気がする。そっか、言葉では、口では誰でも何とでも言えるのだな、と。
言葉で意思疎通をするから、僕たちは人がとった行動に驚いたり失望したりする。言っていることとやっていることが違う、というやつだ。

そして、言葉と行動、どっちが信憑性が高いかといったらそれはもう、行動なわけだ。

でも一方、こうも思う。言葉は、やはり口に出して、言葉として伝えることに意味がある。
行動には、いろんな解釈がありうるからだ。

僕たちは、目に見える現象を自分なりに解釈して、それをメッセージとして受け取る。非言語的メッセージというやつだ。
さっきも言った通りそれはそれでインパクトのある情報なんだけど、その情報をどう判断するかが受取手次第であって、それが正しいという保証はどこにもない。

「これって、こういうことかな?」と思ったりもするんだけど、ひょっとしたら違うかもしれない。だから僕たちは不安になる。

ではどうすればいいか?やはり、言葉として、そのメッセージを定義して伝えないといけないのだと思う。

行動で気付かせて、言葉で確認する。その二つが揃えば最高なんだけど、どっちか一方だとひどく不安定なのが、僕たちのコミュニケーションなのだ。

何が言いたいかわからなくなってしまったけど、要は、誠意もって接しようぜって話。

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