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イギリス、バックパッカーの思い出(後編)

[前回のざっくりとしたあらすじ]1ポンド100円だと勘違いしてるわ、ロンドンついた翌日にNY同時多発テロがあるわで僕の人生初のバックパッカー生活は結構散々なスタートを切ったのだった
イギリス、バックパッカーの思い出(前編) | Strobolights
「価値観がこの先どんどん変わっても、今の自分がクソだと思って、いつか世界中を旅して回りたいと思っているキッズは、これからもいなくならないぜ」 その一言に衝撃を受けた僕は、その足で旅行代理店に転がり込んだ。

人の出会いに救われ、お財布事情を解決

とりあえず、僕の当面の課題は所持金だった。残りのお金と滞在残り日数を割ると、1日3000円くらいで生活しなくてはならない。しかし、ロンドンのB&Bは1泊するだけでそれくらいの金額は行ってしまう。
[aside type=”normal”]B&B:ベッドアンドブレックファーストの略。部屋にはベッドがあって、イギリスの一般的な朝食が付いてくるイギリスの名物一般宿。ちなみに一般的な朝食とはパンと卵とベーコン、ジュース、コーヒー、みたいな感じ。日本で食べるとただの安い朝食だが、イギリスで食べるとオシャレに感じるから不思議。[/aside]

それから僕は食費を削るためにクッキー一枚とバナナ一本を一食とし、それを昼も夜も食べる生活が数日続いた。地下鉄にも乗らず歩いて移動し、お金がかかる観光地はほとんど行かなかった。ちょっと贅沢してバッキンガム宮殿に行ってみたが、全然つまんなくてエリザベス女王が嫌いになった。

そんな日々を過ごしていたある日。ロンドンの交差点で信号が変わるのを待っていると、道路を挟んだ向こう側の人混みに、僕は妙な違和感を覚えた。見たことある人がいるのだ。欧米人の中で日本人は目立つのだが、それでも知り合いに会うなんて思いもよらない。いや、正確には、彼女は知り合いではなかった。そう、僕が通う大学の同じ学部にいる女の子。いつもラウンジで見かける子が、そこにいたのだ。どうも向こうも僕に気づいたようで、目がわかりやすいくらい大きく見開かれた。

信号が変わり、それぞれ人の移動が始まると、僕らは自然にお互い歩み寄った。「〇〇くんですよね???」と彼女は僕の名前を呼んだ。なんと彼女は僕の名前を知っていたのだ。どうやら一年生の時、語学の授業が一緒だったらしい。

僕たちはそれから近くのカフェに入り、お互いの話をした。彼女はイギリスに友人がいて、夏休みの間遊びに来ている、とのことだった。そして僕のどうしようもない懐事情の顛末を話すとケラケラ笑い「お金ないなら泊まりに来なよ」と言ってくれた。彼女は”フラット”と呼ばれる、まあ簡単に言えばルームシェアハウスに泊まっていたのだった。日本人数人で暮らしているというので、孤独と不安にどっぷり浸かっていた僕はその申し出をありがたく受けた。

そこでは数人の日本人男女が共同生活をしていた。みんな20代後半だった。みなさん快く迎え入れてくれて、夜はそのフラットでちょっとした宴会が開かれた。僕は久々に日本語での会話を楽しんだ。

人生いろいろ

その時間は確かに楽しかったのだが、翌日、再び旅立つ僕に彼女はこんなことを教えてくれた。
「みんな一回留学とかでイギリスきて惚れちゃって、イギリスに永住したいって願ってそのチャンスを狙ってる。でも、その可能性は実はかなり少なくて、それでももう、大学卒業してるし普通の道からは外れちゃってるから日本にも居場所なくてわずかな可能性にすがるしかない。もう若くもないしタイムリミットも迫ってて。だから本当はみんな怖くて不安で仕方ないんだよ」

僕は次はまたひょんなご縁から1週間ほど、現地の人の家に泊まらせてもらった。僕が家庭教師のアルバイトで担当していた高校生のお姉さんがイギリス人と結婚してロンドンの外れにあるマーゲイトという港街に住んでいると聞いていたのだ。そこもやはりシェアハウスで、でも多国籍でいろんな国籍の人が住んでいた。お姉さんは快く迎え入れてくれたのだけど、僕は英語がそんなに得意なわけでもなく、そこに住んでいる人たちとのコミュニケーションはなかなかしんどいものがあった。結構いろんなところに連れて行ってくれたのだけど、ろくに言葉が通じなかったので会話も少なく、正直僕は居心地が悪かった。だから僕は毎日、一人で海に行った。近くに海があったのだ。特に何か特徴がある海じゃなかったけど、その佗しい海は、孤独に浸りたい僕にはぴったりだった。
「あいつは毎日あんな海行って何が楽しいんだ?」とシェアハウスのみなさんは首を傾げていたそうだ。

マーゲイトでの生活は、現地のアマチュアバンドのライブハウスに行ったり、カンタベリーの素晴らしい大聖堂に行ったり楽しいこともあった。ただとにかく1週間そこに滞在させてもらったおかげで、僕は随分お金を節約することができた。最後の日、僕は早朝の電車に乗らないといけなかったので、まだみんなが寝静まっている中、一人起きて出発の準備をしていた。すると韓国人が起きてきて、僕を見送ってくれた。彼は言葉数は少ないがいつもニコニコしていて、人懐こい笑顔を持っていた。「俺も英語はそんなに得意じゃないんだ」と彼は恥ずかしそうに言った。
彼は留学に来ていた。そしてあと少しで帰国するそうだ。帰国したら彼は、韓国の習慣に従って徴兵されるのだ、とのことだった。人生は、いろいろだ。生まれた国、育ってきた境遇によって、僕たちはいろんな人生を歩んでいくのだ。そしてまた、僕には僕の人生がある。幸い、お金はだいぶ浮いた。でももう、ロンドンは出ようと思った。少しずつ北上しよう、行ってみたい街は他にもあるのだ。そして何より、ロンドンは物価が高すぎる。こうして僕は、ロンドンを出た。

北上。そしてスコットランドへ

僕はそのあと、さまざまな街を渡り歩いた。基本的には一つの街につき1泊。長くても2泊、という滞在で旅をし続けた。
ウェールズ地方、湖水地方は最高だった。オックスフォードではイギリスに引っ越した小学校の時の同級生(オックスフォード大学!)と中華料理を食べた。サイモン&ガーファンクルの名曲「スカボローフェア」の舞台となったスカーボロの街では丘の上にある寂れた遊園地が印象的だった。

そうして僕は、イギリスとしては最後の地、ヨークにたどり着いた。城壁に囲まれた街、ヨーク。ユースホステルに泊まり、ラウンジで本を読んでいたら日本人の女の子に話しかけられた。彼女はとても綺麗な子で、やはり留学中だった。「久々に日本人と会った!」と楽しそうに話してくれたのだが、彼女が行動を共にしている一団の中の中国人男性が嫉妬の眼を向けていた。どうも、一方的に好かれて付きまとわれているらしい。僕はものすごい目で睨まれ、彼女は「ごめんなさいね」と苦笑いをして去って行った。そうして僕はまた、一人になった。

翌日、僕はヨークを後にし、スコットランドに続く特急列車に乗るべく駅のホームに向かった。するとホームに、明らかに日本人と見える女の子二人組がいた。彼女たちは僕を見つけると「日本人ですか?」と話しかけてきた。彼女たちは広島大学の子達で短期留学でイギリスに来ており、留学が終わった最後の一ヶ月を僕と同じくバックパッカーをするらしい。その最初の地が僕と同じスコットランドのエジンバラだという。こうして僕は、一ヶ月の旅の最後に、初めて旅の仲間を得た。誰かの家に泊めてもらったりはしたけれど、一緒に行動を共にする旅行者は初めてだった。

エジンバラの体験は、本当に素敵なものだった。列車を降りると、どこからともなくバグパイプの音が聞こえた。そしてホームを上がり、改札を出る過程で、その音は次第に大きくなり、駅を出ると路上で演奏をするバグパイパーがいた。

僕らはエジンバラ城を観光した後、バックパッカーがまずやらなければならないことをした。その晩に泊まる宿の確保である。僕はエジンバラで泊まりたい宿をある程度目星をつけていて、そこに行こうとしたのだが、あいにくどれも満室。仕方ないから僕らはユースホステルに泊まることになった。

やはり同行者がいる旅というものは素敵なものだった。これまでの僕は、一人で何かを見て、何かを感じた。感じたことを共有する相手もいなかったから僕は持って行ったカメラでシャッターを切った。でもエジンバラでは、同じ仲間がいた。何かを見て、一緒に感想を言ったりケラケラ笑える相手がいた。ああ、もっと前からこう言う仲間がいたらまた違った旅になったのかな、と僕は思った。

僕らは、数時間前にあったばかりなのに、もうずっと一緒に旅をしている友達のようだった。少なくとも、僕はそう思っていた。

初めてのバックパッカーを終えて。

その晩、僕らは日本の自分の住所に手紙を書いた。自分宛の手紙なんて、なんと青臭いんだろう。でも、その時の僕らにはそれがなんだかとても素敵なことのように思えたのだ。そうして夜遅くまでいろんな話をして、やがて眠りについた。彼女たちは女子部屋に。僕は男子部屋に。どこかの国の青年の放つけたたましいいびきを聞きながら、僕はバックパッカー最後の夜を過ごした。

翌朝、僕らは別れた。僕はエジンバラから飛行機に乗り、ロンドンのヒースローに。彼女たちはそこからストーンヘンジに向かうと言った。二人いるうちの一人はとても泣いてくれて、僕に隠れてプレゼントまで買ってくれていた。羊のアクセサリーだ(ちなみに今でも持っている)。そうして、帰国したら必ず手紙を書こう、と約束して、僕らは別れた(きっと今だったら、LINE交換したりfacebookで繋がったのだろうけど、当時はそんなものはまだなかったのだ)。

こうして僕はまた一人になった。ヒースローから東南アジアのどこかの国(忘れた)を経由して日本に帰るのだ。テロの影響か、荷物検査はものすごく厳しくなっていたし、自分が乗ってる飛行機がテロにあったらどうしよう、と真面目に怖かった。そういう時代だったのだ。

ただ、結果的は僕は無事に日本に帰ってくることになった。こうして、僕の一人旅は終わったのだった。髭はぼうぼうに伸び、体重はものすごく落ちていた。何かが変わったような気もするし、何も変わっていないような気もする。でもとにかく、僕は戻ってきたのだった。

もともと旅に出る理由だった先輩には、ちゃんと告白した。で、振られた。ただ彼女とは、その後もいろいろあった。

【大学卒業の思い出】今になっても分からないこと | Strobolights
僕が”大学卒業”で鮮烈に覚えているのは、先輩の卒業だ。僕の一つ上の先輩で、僕は彼女に恋をしていた。36歳となり、それなりに人生経験も積んだ今でもわからないことがある。それくらい、僕にとってトラウマのような恋だった。
【大学卒業の思い出】今になっても分からないこと後編 | Strobolights
僕は電気を消して、先輩の横に入った。僕の左手に、先輩の右手が密着した。柔らかくて、温かった。僕の全神経が左手に集中した。布団の中では、二人とも無言だった。

まあ、人生なんて、そんなもんなのだ。昔、イギリスのポールマッカートニーがこんな歌を歌った。

Let it Be(全てはあるがままに)

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