メルカリ始めました▷

震災で思い出すことー2011.04@石巻

熊本で震度7の大地震があった。2016年4月16日現在、まだ余震が続いているというのだから熊本の人々は不安と恐怖で一杯の日々を送っているのだろう。

震度7、のインパクトはなかなかで、僕は珍しくテレビをつけ、地震の情報を追った。ネットでも地震の情報は逐一追っている。
普段、趣味の世界を除いてそこまで世の中の動きに興味があるとは言えない僕が、何故この震災について気にしているかというと、答えは単純で東日本大震災の時の思い出が結構色濃く僕の心の奥に刻み込まれているからだと思う。

お祭り気分だった震災当日

僕は別に東北在住ではない。東京のど真ん中に位置する会社で仕事をしている時に、被災した。ビルの人は全員外に避難し、会社は臨時休業となった。電車が止まってしまったので僕は数人の同僚と、近くに住んでいる奴の家に泊まりに行った。
突然降ってわいたような非日常に、正直、どこかワクワクした感情を持っていたことを認めなくてはならない。楽しかったし、結構みんなではしゃいでいた。「水とか買い込んどいた方がいんじゃね?」とコンビニに入り、自宅まで歩いて帰る人達を横目に見ながら、営業していたラーメン屋でラーメンをすすっていた。

酒を飲み、酔っ払ってきた頃に誰かがテレビをつけたら、津波で流されていく仙台の街の様子が放映されていて全員言葉を失った。東京はせいぜい電車が止まったくらいだったのに、仙台では大変なことになっていると、その時初めて知ったのだった。

その後、計画停電とか放射能の恐怖とか、東京にいても得体の知れない、気持ち悪い恐怖が日常生活にあったのだが、それより何より、僕に強烈な印象を与えたのは、石巻のことだ。
僕は、2011年4月、つまり震災から約一ヶ月後の4月19日に石巻にいた。

津波の被害が甚大だった街だ。

とりあえず、石巻へ

外資系の某IT系のクライアントが「震災復興支援をしたい」と言い出した。うちの会社と一緒に何かやりたい、というのだ。ただその企業は、「危険地域」に社員を派遣するな、という規定がグローバルであるらしく、「個人の意思ならともかく、会社の業務として東北に社員を派遣することはできない」という。そんなことで、「代わりに行って、何が支援できそうか探ってきて」ということで、僕が行くことになったのだ。なんだそれ、と思ったものだ。

同じチームだった男の同僚二人と「さてどうする」と打ち合わせ。そのうち一人は仙台出身。家族の無事は確認できたものの「石巻がやばいと聞いています」というので、とりあえず石巻に行こう、ということになった。ただ当時は新幹線は動いておらず、仙台まで在来線を使っていくしかなかった。仙台と石巻をつなぐ電車も壊滅状態だ、という。
また宿泊する宿もなかった。世界中からマスコミやボランティアが仙台に入っており、仙台付近のビジネスホテルはどこも満室だ、という。さすがに野宿はきついし、日帰りできる内容でもない。僕たちはなんとか探した、高級温泉旅館に泊まることになったのだった。

こうして、男三人での仙台への旅が始まった。空気は、正直重かった。何をするかも決まっておらず、また現地の状況がひどいことはニュースを見ていればわかっていたからだ。おまけに余震はまだ断続的に続いており、放射能の問題もある。よほど正義心やボランティア精神がある人ならともかく、仕事としてそんなところに乗り込んでいくのは正直気がひけた。現地の方には申し訳ないが、自分がどうなるかの方が、正直心配だった。

福島駅での乗り換えのことをよく覚えている。駅自体は特に壊れているとかはなかったのだが、僕を含め全員、マスクをして、乗り換えの時はみんな小走りで駆けて行った。放射能を吸い込まないようにだ。はっきり言って、異常な光景だった。自分たちが今から非日常の世界に入ろうとしている事に、緊張感が増していった。

死体の匂い

車の中から撮影。まともな姿で立っている建物は皆無で、皮肉にも見晴らし良く開けていた。

車の中から撮影。まともな姿で立っている建物は皆無で、皮肉にも見晴らし良く開けていた。

仙台に到着できたのは夜。以前にも仙台には出張で来たことがあり、仙台周辺の建物自体は依然とそんなに変わっていなかった。ただ、空気は明らかに違う。電気がついているビルはごくわずかで、大きな駅がある街なのに、全体的に暗く、重かった。道行く人の数も少なかった。人がいないから、街全体から音が聞こえなかった。

僕らはそこから車で1時間ほどかけて山奥にある高級温泉旅館に向かった。「不謹慎だ」と思いながらも、温泉旅館は素晴らしかった。広い部屋に、露天風呂。「俺たち、何しに来たんでしたっけね・・・」と同僚がつぶやく。翌朝は早かったので、酒も飲まずに早々と床につく。

翌朝、車で仙台に戻り、そこから石巻に向かった。いつもなら数十分で着く距離らしいが、数時間かかった。渋滞だ。といっても、普通の乗用車ではなく、救援物資を載せたらしい自衛隊のトラックが目立った。道が進むにつれ、周囲の景色は徐々に変わっていった。建物自体は無事な仙台駅周辺とは異なり、次第に瓦礫が増えていったのだ。

石巻は、テレビで見たように、瓦礫の山しかなかった。車はそこらじゅうで横転し、巨大な船が街中にどーんといきなり現れたりした。そして、街を歩く人は誰一人いなかった。

車から一歩出ると、後にも先にも経験したことのないような匂いが全身を覆った。石巻は漁業が盛んなのだが、魚の死骸と、人間の死体、そして海藻の匂いが混じり合った腐臭だった。これはテレビではわからない。

人がおらず、物音もせず、強烈な腐臭が漂うあの光景は、まさに映画や漫画で見たことのある地獄の光景だった。世界が終わってしまった後のような光景だった。

瓦礫の中をおっかなびっくり車で運転しながら僕は、思ったものだ。

「こんなの、僕たちに何かできるわけないじゃん」

途方にくれる、という言葉を、生まれて初めて経験した。

平気で人が死ぬ感覚

石巻にある大学。敷地内が避難所となっており、仮設住宅代わりのテントが無数に存在していた。

石巻にある大学。敷地内が避難所となっており、仮設住宅代わりのテントが無数に存在していた。

一体僕たちに何ができるのかー。
一応、学生の就職関係を扱う仕事をしていたので、その界隈で支援できることがないかを探るために、僕たちは幾つかの大学に訪問し、関係者にヒアリングさせてもらった。
建物には大きなヒビが入り、ブルーシートで覆われている箇所がたくさんあった。本当は新学期を迎えて新生活への期待が満ち溢れていたはずのキャンパスだったが、学生らしき人物はほとんどいなかった。

学生課の方に話を伺う。東京からの来客、ということで結構歓迎してもらえた。大学の被災状況や、学生の状況をいろいろと聞くが、正直、時間をもらったのが迷惑だったんじゃないかと思えるほど状況は悲惨だった。というより、よくわかっていなかった。情報が整理されていたり集約されている状況に慣れ過ぎていた僕たちの感覚は、異常事態にはまるで通じなかった。

会話の中で「死」という言葉がたくさん使われていた。あと「流されちゃって」。つまり、死んだ、ということだろう。話を伺った方も半分くらい感覚が麻痺しているとご自身でおっしゃっていたが、友達や知り合い、同僚が死ぬことにもう慣れてしまっていた。連絡が取れない人もたくさんいたという。

また、「今夜また大きな余震が来る」というようなことも言っていた。「そんなのわかるんですか?」と聞いたら「みんながそう言ってる」というのだ。誰かが言い出した迷信にすぎないような話を、信じ切ってしまっている。

何かもう、予想していた以上に、というよりは、もうまったく違う世界なのだ、ということを痛感した。

「僕たちに、何かできますか」と聞いたところ

「どうでしょうねえ。。。」とのことだった。

後日談

結局、僕たちがやったのは、東京の企業にお願いして説明会を東北にWebで届ける、というものだった。うちの仙台支社にPCを設置し、PCが流されてしまった方でも支社に来てさえくれれば説明会が見れるようにしたのだ。生放送としたので、学生はコメント欄を使って質問することもできた。

この取り組みは新聞やテレビで少しだけ取り上げられたりもした。手前味噌だが、そもそもの発端であるクライアントの持つITの技術と、僕らの持っているノウハウやコンテンツがうまく融合した、良いソリューションだったと思う。

ただ、やったことに満足していては意味がないことを知ることになる。「これで東北の就活生を少しでもサポートできる!」と思って張り切って取り組み、確かに仕組みは整えた。ただ、実際に見ることができる人はほとんどいなかった。家が倒壊してPCを見れる環境にない、仮設住宅でPCを独占するわけにいかない、そしてそもそも「就活どころじゃない」学生があまりにも多すぎた。環境は用意はしていても、仙台支社に訪れる人もいなかった。

ただ、一人だけ、支社にやってきた学生がいた。彼女は熱心にPCで説明会を視聴し、質問もしていた。支社の人から聞いたのだが、説明会が終わって帰るとき、とても丁寧にお礼をしてくれて帰って行ったそうだった。

あれから5年が経った。去年、僕は仕事で仙台に行ったのだが、もう震災の面影は感じられないほど復興していたから、人間は本当にすごいな、と思う(勿論、まだまだ傷跡は残っていると聞くけども)。
きっとたくさんのボランティアが現地に入って、活動をしていたのだろうな、と思う。

この話に、教訓やオチはない。ただただ、僕が現地で感じたことを書いただけだ。ただこういう経験をしたからか、「自然の前に、人間は無力だ」というありふれた言葉を体感することができた。

今回の熊本の地震は余震が続いていることもあり、この後もっと大きな本震が来る、何て情報もある。一体何がどうなっているのか、どうするのが正しいのか誰もわからないはずだ。

東日本大震災みたいな惨事が起こった後、原発の問題もあったし、何か生活が一変するかと思っていた。ただ結局、しばらく時間が経ったら、少なくとも東京にいる限り、僕たちの日常は以前と変わらぬものに戻っていた。

不謹慎なようだが、あまりに世界が変わらないので、少し拍子抜けをしたものだ。ただ逆に、それでも人間は生きるのだし、取り戻すことができるということだと思う。石巻で、呆然とするしかなかった僕には、その復活劇が奇跡としか思えないくらいなのだ。

熊本の今はきっと、テレビやネットで見る以上に悲惨な状況なんだと思う。でもそれでも、きっと昔みたいな熊本に戻るはずだと思う。温泉が最高で、ご飯が美味しくて、酒が強くて気のいい人がたくさんの、熊本。
現地の方の無事を祈りつつ、亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です