大学受験の思い出(浪人時代編)

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大学受験の思い出(浪人時代編)

さて、前回は現役時の大学受験失敗までを書いた。今回は浪人時代を経て大学に合格するまでを書いてみようと思う。何度も書くような話では別にないので、受験話は今回で終わる。

孤独にまみれた浪人時代

浪人時代を振り返ると、とにかくひたすら孤独だった。まず、通っていた予備校が現役生限定の早稲田塾だったので、浪人が決まった瞬間に追い出された。早稲田塾で僕の担当だったチューターに結果報告をして「残念だけどこれからも頑張ってくださいね」と言われたのが何だかとても現実的でドライだなと思った。まあ、そうだよね。浪人は通えないんだから。僕らの縁も、ここまでです、と。

仕方ないので僕は別の予備校を探すことになり、河合塾を選んだ。なんとなく、王道っぽかったからだ。当時は予備校といえば河合塾、代々木ゼミナール、駿台予備校がメジャーで、東進ハイスクールとかってあまり聞かなかった気がする。

前回も書いたが、僕の高校生活最後の一年間はなかなか孤独な一年だった。友人とは基本的には距離を置き、必要以上につるまないようにしていた。高校の卒業式に行かない、と断固言い張ったくらいだ(両親の猛烈な反発に遭い、行ったけど)。

ただ、数少なく仲良くしていた友人と、行く約束をしていたライブがあった。アートガーファンクルだ。高校時代にハマったサイモン&ガーファンクル。高校卒業のタイミングで来日するなんて、なんか僕のためみたいじゃないか、と同じくサイモン&ガーファンクル好きな友人と、高校生にしては安くないチケット代を買って行ったのだった。彼は、僕と違って現役で志望校に合格していた。

ライブ当日に、彼は現れなかった。入学予定の大学の懇親会があるから遅れていくかも、と言われていたのだ。渋谷のハチ公前で、ギリギリまで、僕は待った。しかし、彼は来なかった。チケットは僕が持っている。今みたいにケータイがなかったから、彼と連絡を取る手段もなかった。仕方ないので僕は一人で渋谷のオーチャードホールに行った。大人たちに混じって、一人でアートガーファンクルの美声を聞いた。そういえば人生で初めてのライブはこれだった。

新しい友人との生活を優先した彼を、責めることはできない。僕とは違い、彼には新しい人間関係が待っているのだ。これから、忙しくなるのだ。

僕は夜の渋谷を一人で帰った。

こうして、僕の孤独の浪人時代が始まった。

自分の核ができた浪人時代

浪人時代、僕は勉強に打ち込んだ。朝起きて予備校に行き、予備校の授業が終わったら予備校の自習室で自習。集中力が切れたらドトールコーヒーに移動してそこで更に自習。疲れてきたら帰宅し、晩飯を食べ、自分の部屋で勉強した。毎日10時間以上、最高で1日14時間勉強した。

予備校で友達を作ったり恋人を作ったりする人もいるが、僕は基本的にしなかった。唯一、メガネをかけた少し変わった友人ができた。彼は大の音楽好きで、ロックに目覚めかけていた僕に色々とお勧めのCDを貸してくれた。でも別に必要以上に仲良くすることはなかった。

孤独な浪人時代の僕の数少ない楽しみは、ドトールコーヒーで食べるミルクレープと、予備校帰りに必ず立ち寄る中古CD屋、そして格闘技だった。
中古CD屋では一通りCDをババババーッと物色。気になってたバンドのCDを見つけたら喜んで買った。買おうかどうか迷っていたCDは、翌日行くともうなくなっていた。中古CD屋は、生き物なのだ。基本的には洋楽だったし、買った曲をMDに入れて聞きながら勉強していた。おまけに人と話さなかったから僕は1日、ほぼ英語ばかり耳に入れていた。おかげで、英語の偏差値はうなぎのぼりだった。

格闘技にもどっぷりハマった。当時はK-1最盛期だった。僕は極真空手のフランシスコフィリオに心酔していた。彼をフィーチャーしたCDまで買った。フィリオがマイク・ベルナルドにKO負けした試合は、テレビの前で絶望したのを覚えている。

ある日、予備校に向かう道すがらに強烈に感じたことがある。

それは、僕は自由だということ。

高校と違い、予備校は別に行かなくてもいいのだ。僕がこのままサボってしまっても誰にも何も言われない。そうすることは簡単だった。でももしそうしてしまうと、僕はどこまでも堕落していく気がしたし、その結果として待っている結果は推して知るべしだ。サボってまた受験に失敗するも、今は我慢して努力して最後に笑うのも自分次第。

そうか、自由とは、自分次第ということなのか、と僕は知った。

そしてそれは、あまりにも恐怖だった。自由よりも、管理されている方がどれだけ気が楽だろうかと思った。

節制と抑圧と恐怖の一年間。そんな僕を支えてくれたのがロックミュージックと格闘技だったのだ。

未だに続く僕の二つの軸でもあるこの二つの素晴らしい世界にどっぷり浸かれた浪人時代は、間違いなく僕の転機だった。

浪人時代の勉強法と失敗談

とにかく僕は勉強した。勉強に関することで、未だに忘れられない、今となっては笑い話のことが二つある。

浪人時代の秋口だったと思う。夜21時頃になると鼻血が止まらない、という謎の現象に悩まされた。
ある日、予備校の現代文の先生が、サプリメントを勧めていた。受験勉強で疲れた体に飲むと元気になるぞ、と言われたのだ。

僕はその先生のことがとても好きだったので、物は試しと思ってそのサプリメントを買ってみたのだが、それから鼻血が止まらなくなった。サプリメントが効きすぎたのかもしれない。

外傷はないのだが、ポタポタ、と鼻から血が出てくるのだ。しかも継続的に。ティッシュを鼻に詰めてもすぐに血で一杯になってしまうためキリがない。仕方ないのでトイレの便座の前で膝まづき、トイレに向かってポタポタ、と血を落としていった。その時間が勿体無いので英単語帳を持ってトイレに籠っていたものだ。だいたい1時間くらいそうしていると、血は止まった。

もう一つ覚えているのは、勉強法についてだ。予備校の通学時間がもったいないと思った僕は、この時間を有効活用しようと考えた。MDを使って、通学中にイヤフォンで音声学習をしようと思ったのだ。問題は教材を何にするか。今みたいにそんなもの売ってなかった(多分)から、僕は自分で作ることにした。DIY精神というやつだ。

僕が作ったのは世界史の年号だった。年号の語呂合わせをMDに吹き込もうと思ったのだ。
こうして僕は、ある夜中に自宅のステレオデッキの前に座り、ひたすら世界史の語呂合わせを読みながらその音声をMDに吹き込んでいった。

ところが翌日、そのMDを聞きながら通学しようとして大変なことに気づいた。僕の低い声で淡々と語呂を読み上げた音声をイヤフォンで聴いていると、気が狂いそうになるのだ。
これはまずい、と僕は速攻でそのMDを止めた。アイデア自体は悪くないはずだ。ではどうしよう?そうか、僕の声だけだから不気味なのだ。

その夜、僕はBGMを流しながら再度語呂合わせ音声を吹き込んだ。しかし何故か僕がその時選曲したのはアヴェマリアだった。
翌日、アヴェマリアの荘厳な音楽に合わせてひたすら年号語呂を淡々と読み上げる僕の声を聞き、僕は圧倒的に自殺したくなった。
こうしてこの勉強法は、二度と試されることはなかった。

浪人時代の志望校選び

ひたすら勉強に打ち込んだお陰で、僕の偏差値は70を超えるほど上がっていった。私大模試だが、最高で全国4位になったこともある。基本的にひねくれ者の僕は、模試の第一志望をフェリス女学院にしていた。模試で良い点を取ると成績上位者が掲載されている本に載る(今でもあるのかな?)。そしてそこに僕の名前が載り、僕の志望校フェリス女学院と記載されて全国に配布されるのだ。完全に性格がねじ曲がっている悪趣味だが、実際に僕はそうしていた。ちなみにA判定だった。

僕は第一志望を立命館大学にしていた。もう東京は離れたいと思ったのだ。そしてどうせ離れるなら、東京とまるで生活環境が違う街がいいと思って候補に上がったのが北海道と京都だった。北海道は雪だらけだろうし、京都は寺だらけだろう、と思ったのだ。今思えば、浅はかだなあと思う。まあ、間違ってはいないんだけど、あまりにも幻想が過剰だったというか。
何しろ僕は浪人時代中、人生で初めてとなる一人旅として京都に一泊旅行に出かけたのだけど、京都にコンビニやマクドナルドがあることにショックを受けたのだ。さすがに侍がいるとは思っていなかったけど、寺に囲まれた街かと思っていた。

でもその一人旅で、実際に立命館大学や同志社大学、関西学院などを見て回り、立命館が一番気に入った。僕にとって、とても大切な思い出になったと今でも思っている。

合格

立命館はセンター入試は適用されなかった。僕は自分を追い込むために、センターは受けないと決めた。でもセンター当日、自宅で勉強しながら僕は受験しなかったことを激しく後悔した。抑えがなくなったからだ。

立命館は当時、様々な学校経営改革を行っていて勢いがあった。受験方法も日程と会場を複数選べた。僕は結果として立命館を3回受けた。そして3回とも全部受かった。合格通知の分厚い封筒が三通送られてきた。僕は立命館に行こうと決めた。

一応、東京の大学は上智大学と慶應義塾大学を受けた。ただ行くつもりはなかったので、「慶應受かっても立命行く」と言って親に猛反対された。
しかし、結果的には二つとも落ちたから誰も困らなかった。人生はうまくできている。
偏差値的には二つとも受かると思っていたのだが、立命館に行くことが決まっていたせいか、あまり集中していなかったし、舐めたことやったからだろうと思っている。まあ、負け惜しみになるかもしれないから詳しくは語らない。

ただこの頃には、当初の受験目的だった「先生見返す」なんて気持ちはどうでもよくなっていた。

こうして僕は、辛かった浪人生活を終えた。上述した通り自分の人生で大切な音楽と格闘技という世界観を確立できたのは大きかったし、何より「自分が自由で全ては自分次第なのだ」と体の芯から感じられたことが大きかった。辛かったけど、自分で立てた目標を有言実行で達成もできて自信にもなった。人生の転機の一つだと、間違いなく言える。

そして僕は3月末に家を出て、京都で一人暮らしを始める。大学時代の話は、またどこかで書くかもしれない。書かないかもしれない。

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