メルカリ始めました▷

大学受験の思い出(現役編)

今日からセンター試験だそうで。
多くの人にとってそうなように、僕にとっても大学受験は人生の中で一つの節目だった。今日はそんな大学受験についてなんとなく思い出してみた。
僕の受験の思い出なんて興味ある人いないと思うが、ご自身の時を振り返るきっかけにでもしていただければ。
なお、タイトルからしてネタバレしているが、僕は現役の時は受験に失敗している。今回は、現役時代について書きたい。

偏差値30からのスタート

僕は中高大一貫の私立高校に通っていた。大学付属だったものの、一応進学校だった。成績が悪い生徒が付属の大学に進み、多くの生徒は外部受験をした。
学年の中でもクラスが一類と二類に分かれていた。成績上位者が一類に入り、いわゆる難関校に進む。付属大学進学者含め、それ以外は二類に属した。
なお、僕は二類だった。
僕は高校時代、ボクシング部に所属していた。運動神経がいいわけではないが、ボクシングはそれなりに続けていた。視力も悪かったので公式戦には1回しかでれなかったが(ボクシングは視力検査があるのだ)、一応毎日部活に出て汗を流していた。
そして定期試験ではそこそこな点数を収めていた。試験範囲が決まっているのだから、その範囲を丸暗記すればいい。だから僕は、一類ほどじゃないにしてもそこそこイケる方だと思っていた。
高校三年生になり、受験を具体的に考えるようになった。高校でも模試を受けたわけだがここで僕は驚愕の事実を知る。なんと偏差値30という結果を出してしまったのだ。定期試験と違い範囲が定まっていない模試で僕は全くできなかった。それまで、本当に試験範囲を丸暗記していたので、僕には問題を解くという能力がまるで備わっていなかったのだ。

僕は予備校に通い始めた。現役生しか通えない早稲田塾だ。同じ校舎に、同じ高校の奴が何人かいた。みんなチャらくて僕が心のどこかで軽蔑していた奴らだ。
しかし、その予備校のクラス分けでも僕は彼らより下のクラスになってしまった。

僕は、馬鹿なんだな。

そんな事を痛感するところから、僕の受験は始まる。

教師への反発

僕は高校の先生たちがどうも好きになれなかった。みんな胡散臭いし、偽善者だと思っていた。だから僕は教師に対して、基本的には反抗的な態度を取っていた。反抗的なのに、成績はそこそこ良い、というのが僕をまた得意気にさせていた。まあ、今思えば生意気なガキだけども。
ただ模試の偏差値が異常に低く出て、自分の方がバカだと判明してしまったので、それからはどうにも強く出れなかった。それまでは勉強=定期試験対策丸暗記だと思っていたのでまともに授業なんて聞かなかったが、「ちゃんと考えて解く」ことを意識し始めてからは授業にも真面目に取り組もうとした。しかし、中学からの基本がまるで出来ていなかったので、もうズタボロだった。

そして、僕が大嫌いな教師の筆頭だった英語の教師に、英語の授業中に言われた一言が今でも忘れられない。

「お前みたいなやつは絶対どこの大学にも受からない」

恥ずかしかった。惨めだった。腹が立って仕方なかった。でも、何も言い返せなかった。

こいつを見返さないといけないー。僕の大学受験のモチベーションは定まった。

志望校は高く

そう、実は僕は受験勉強そのものは始めていたものの、自分が大学に行く意味が見出せないでいた。やりたいことがあるわけでもないのに、なぜこんな勉強しないといけないんだろうか、と思っていた。当時の多くの高校生同様、僕もゲームが好きだったので、ゲームの専門学校に行こうかとも思ってパンフレットを取り寄せたりしていた。
しかし、教師への強烈な反発心を覚えてから僕の大学受験は「あいつらを見返す」ことに集約されていった。
僕を馬鹿にした教師をギャフンと言わせるためには、大学に受からないといけない。しかも、偏差値の低い大学じゃダメだ。

まだインターネットなんてなかった時代だったので、高校や予備校の資料室で大学情報誌を漁り、世の中にはどんな大学があるのか、そして偏差値が高いのはどこなのかを調べた。
恥ずかしながら、僕は国立と私立の違いも、東京大学や慶應義塾大学もまともに知らなかった。まあ、本当に世間知らずだし、先生の言う通りどこの大学にも受からないと言われても仕方ないくらいバカだった。
当時、新世紀エヴァンゲリオンの大ヒットや凶悪な少年犯罪事件が日本を震撼させた事もあって、心理学が異常に人気があった。大学受験でも心理学が一番人気で、突出して偏差値が高かった。「これだ!」と僕は思った。

今はどうか知らないが、当時の文系私立大学の偏差値で最も高かったのは上智大学の心理学、ついで立命館大学の心理学、その後に慶應と中央があった。
確か一番上の上智で偏差値は75くらいだった気がする。
上地は無理だとして、僕は照準を中央大学に定めた。ここに受かれば僕を馬鹿にした先生を見返せると思ったのだった。

先生のおっしゃる通り

それからは必死に勉強した。今回は書かないが、僕は高校三年生の後半である事件に巻き込まれ、極度の人間不信に陥った。
だから友達とは一切遊ばなくなり、勉強に集中していったのだった。最初は全くついていけなくなった授業にも徐々についていけるようになり、センター試験でもそこそこの点数を収めた。当時は今と違って、センター受験はやりたい人だけやる、みたいな感じだった。私立でもセンター利用の大学はあまりなく、滑り止めで使うような大学が導入している程度だった。だからセンター試験は国立志望と、抑えを作りたい私立志望者が受けていた。

また滑り止めの大学も幾つか受けた。確か日大とか専修とかだった気がするが、よく覚えていない。その頃には、僕の偏差値は50〜60くらいまでは上がっていて、中央大学も現実的な射程圏に収めていたのだ。僕は自信満々で中央大学の入試を受けた。手応えはあった。

合否発表の日がやってきた。よく晴れた日だった。中央大学の八王子キャンパスまで合格発表を見に行った。モノレールに乗り、山の中にあるキャンパスを目指した。意気揚々と。

そしてその巨大なボードに、僕は自分の番号を見つけることができなかった。

現実がよく理解できなかった。悲しくもなかったしショックでもなかった。
ぼんやりした気分のまま、僕は帰路に着いた。先生の言っていたことは、正しかったことが証明されたのだった。

続きは以下から。
[clink url=”http://strobolights.xyz/web/2016/01/17/jyuken2/”]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です