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意識高い若者が増えた訳

「意識高い」という言葉がある。ビジョンがあったり、活動的な若者、特に学生を指して言う言葉である。
大人がこの言葉を使うときは「優秀」という意味合いで使うが、若者同士で使うときは「揶揄」のニュアンスが強いから不思議だ。

兎にも角にも、意識の高い学生が増えている。これはおじさん世代の僕からすると驚きの事態で、一体なぜこうなってしまったのかを考えてみたい。

意識高いの定義

諸説あるので定説はないのだが、上に書いたようにビジョンがあり、何らかの問題意識や目的のもとに活動している学生のことを指す。

ちなみに、ビジョンや理想だけ語って実際アクションしていない若者のことを「意識高い(笑)」と呼ぶ。(笑)がついてしまう学生の特徴は以下の通り。

  1. SNSで発信したがる
  2. いろんなセミナーに参加している(つまり、お客側でしかない)
  3. 人脈(facebookで繋がってるだけ)はやたら多い

上述した通り、”意識高い”は揶揄のニュアンスが含まれる。日本人らしく、出る杭は打たれる感じで、どちらかというとやっかみに近い。
だからプライベートな友達には自分のアクティブなところを見せたがらない人も多いようだ。

そして(笑)がつくとこれはもう完璧に「痛い」人扱いだ。

一応スタンスを表明しておくと、僕は意識高いのは悪いことじゃないと思っているし、むしろ素晴らしいことだと思う。

結果が出てようが出ていまいと、そんなの学生なんだからどっちでもいいじゃんと思う。まあそれはいいとして。

今と昔の大学生の違い

僕の学生時代は非常に牧歌的だった。僕の代は史上2番目に悪い就職氷河期だったのだが、それでも牧歌的だった。そこに危機感みたいなものはなく、「ま、そんなもんでしょ」といった感じだった。

大学の授業なんてほとんど出ず、友人とタバコを吸い(キャンパス内全て喫煙可能だった)、バイトをし、サークルをし、家に帰るとすることがないので読書をし、映画を見て、恋愛に勤しんだ。多分、ほとんど全ての大学生がそんな感じだったのではなかろうか。

そこへ行くと今の学生はすごい。授業には出て(出席カードがあるのも大きいだろうが)、バイトはもちろんこなし、サークルを複数掛け持ちする。サークルだけに飽き足らず、”学生団体”とやらに所属して日々あらゆることにアンテナを張って問題意識を持っている。帰宅するとSNS(しかも複数)で友人の動向をチェックし、イイね!とする。

いや、いつの間にか1日は24時間じゃなくなったみたいだ。それくらい、同じ大学生でも昔と今とでは時間の使い方が違う。すごい時代になったものだ。

しかし、意識が高い学生に共通して言えるのは、総じて「自分にもできる」という意識だと思う。世界は変えられるし、それは他でもない自分なのだ。

なぜ、学生の意識は高くなったのか

ここで考えなくてはならないのは昔と今とで何が変わったのかということだ。少なくとも、僕の時代は学生が何か問題意識など発言しようものなら「怪しい人」だった。途端にアンタッチャブルな存在になっていき、やがて休学し、退学していった。

しかし今はそんなことはない。ここで、何がきっかけだったのかを僕なりに整理してみたい。

【1】SNSの発展

まず大きいのはこれだろう。もちろんSNSの発展の背景にはインターネット社会の到来があるわけだが、そこまでさかのぼることはしない。SNSだ。しかも、複数。
聞けば、facebookはスーツ、twitterはジャージなのだそう。つまり意識の高い発言やフォーマルな発言はfacebookで行い、どうでもいいグダグダな発言はtwitterで行う、と。
誰かと知り合うととりあえずfacebookで繋がり、「共通の知人多いですね」なんて会話をする。しかし実際にfacebookで頻繁に発言する人はそう多くない。
発言するときは大抵何かを成し遂げた時だったり、日常をエンジョイしている時の写真だったりする。

こうして、お互いがお互いのリア充っぷりを見せ合う空間となってしまい、結果的に相乗効果でみんなの意識が高くなっていく。でもこれは、悪いことじゃないと僕は思う。上述した通り、学生は、意識高くあるべきだと思うしそれがこうした装置を使って増幅されていくのは悪いことじゃないんだろう。

ところで、どうしてFBでの成果報告ってあんなに華々しく見えるんだろう。実際、FBでは凄そうな人が、実際会ってみると全く大したことない、というのはあるあるだと思う。

【2】ロールモデルの登場

次がこれだろう。世界を変えてみせた人物たちの存在。
最も偉大なのがスティーブジョブズであったり、マークザッカーバーグだろう。彼らには共通点がある。それは、他の人とは違う存在で、煙たがられていたり軋轢で悩まされながら偉業を成し遂げた、という点だ。ザッカーバーグなんて学生時代がドラマの始まりだし、学生にとっては「まさに今」なのだ。

これが、そっくりそのままドラマとなり、エンタテイメントとなり、神話になって今の学生の意識を刺激する。そう、「他と違ってもいい」し、「今は理解されなくても構わない」のだ。

日本人だとホリエモンとかなんだろうか。ホリエモンも同じ。逮捕歴含め、神話になっている。
こうした分かりやすい神話があることによって、今の学生の意識は高くなっていくのだ。

【3】東日本大震災

僕、これが結構大きいんだろうなあと思っている。2011年3月に起こった東日本大震災。この日本で起こった大悲劇と非日常は僕たちに圧倒的な無常観と無力感をもたらした。今の大学生がちょうど中学生や高校生だった時の悲劇。きっと、ショッキングだったんだろう。そして無意識のうちに「何か社会に対して成さねばならない」という価値観が生まれたのではないだろうか。

だが、中学生や高校生にできることなんてたかが知れている。それが大学生になり、モバイルインターネットやSNSを駆使することができるようになり、彼らは武器を手に入れた。できることが圧倒的に増えた。その結果、意識が高くなっていったのだ。

意識高い問題点

何度も書くが、意識が高いのは悪いことではない。意識だけ高ければいいかというとそうでもないのだけど。
ただ、問題もある。意識が高いことがファッションになってしまうことだ。まあこう言うのが(笑)がついてしまう学生なんだけど、自分の意識の高さをひたすら自慢する。問題意識から来た意識ではなく、承認欲求から来た意識になってしまっている。

そしてこういう学生はえてして比較したがる。「優秀だ/優秀じゃない」「価値(ヴァリュー)がある/ない」「成長できる/成長できない」のように、誰かと比較しないと気が済まない。誰かとの比較がないと、自分の正当性が担保できない。なぜなら、彼らの意識は問題意識から来ているわけではなく、承認欲求から来ているからだ。

まあ、それも若者らしいといえば若者らしい。気持ちもわかる。でもそれじゃあ結局誰からも認められない。

最後にするが、意識が高いのは悪いことではない。そして、僕たちおっさんも頑張らないといけない。学生から刺激を受けることだって多いしね。

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