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pray for paris

フランスの悲劇

既報の通り、パリで同時多発テロがあった。2015年11月14日(土)23時現在、様々な情報が飛び交っており、全体像は正直よく分からない。
ただ、パリで同時多発的に銃撃テロがあり、少なくとも150名の方が亡くなった。
フランスのオランド大統領は非常事態宣言を発令し、国境を閉鎖した。またイスラム国による犯行だと断言した。

接点がないと、僕らには自分ごとにはならないのか

僕はfacebookのフォードでこの事件を知った。知り合いの大学生が何人かフランスに留学していて、「私は無事だ」といったような投稿をしていたのだ(未だFB上では不明な知人がいるのが気がかりだ。無事だと信じている)。

現地の悲惨さはニュースのテキストを読んでいるだけで伝わってくる。きっと現実はそれ以上なのだろうから、僕が平和な日本でmacの素晴らしいキーボードを叩きながらこんな個人の趣味ブログで何かを書くのは適切ではないのかもしれない。

ネットでも批難の的になっているが、日本のテレビマスコミメディアはこの事件をあまり報じていない。報道統制がなされているのでは、といった説もあるが、それにしても対岸の火事すぎやしないだろうか。

ただ、正直、僕もこれがもし全く縁がない国の事件だったらわざわざブログに書くほど気にしなかったかもしれない。僕がこの事件を気にするのは知り合いがいるからに過ぎないのだろう。

でも結局、人が自分ごととして関心を持つことができるのは、こんな感じで自分の日常と接点があるかないかでしかないのかもしれない。
残念ながら、地球上すべての人の悲劇に対して涙を流すことは僕には出来ない。でも本来的には人の命に上も下もなく、有名人だろうが一般の人だろうが、命の重さは等しいはずだ。

憎しみが想像つかない

テロだか何だか知らないが、無差別に人の命を奪う行為は断じて許せるものではない。
ただ同時に少し思うのが、そこまでしなくてはならないほど、そんな行為に駆り立てるほどの憎しみとは、一体どんなものなのだろうかということだ。
命を軽んじているわけではないと思うのだ。逆に重んじているからこそ、それを奪うことによって自分たちの正義を声高に叫んでいるのだ。

もう歴史的に、宗教と民族の問題は複雑すぎて正確に理解できているかというとその自信はあまりない。僕が認知しているのは世界史の歴史にプラスアルファしたくらいの知識だ。
だからこのブログでイスラム国の活動の真理に迫ることはしない。

ただ、もう超シンプルに、「一回リセットしよう」と言えたらどんなに楽なんだろうかと思う。ただの現実逃避の妄想だが、話し合いとかで解決できるほど自体は簡単じゃない。今回犠牲になった方にはもちろん何の非もないが、ここまで追い詰められているイスラム国のことを考えると、何とも言えない気持ちにもなる。

そんなことを考えていると、もう、絶望しかない。ただテロ行為自体は絶対に正当化できない。もう、それくらいしか言えないのだ。

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