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“書く”事で誰かが傷ついていないか

ネットの怖さ

先日、こんなブログ記事を読ませていただいた。
[blogcard url=”http://masaki-desuyo.hatenadiary.jp/entry/2015/09/23/173306″]

プロのライターさんのブログのようなのでアマチュアの一個人が書いてるブログで取り上げるのも恐縮だが、色々感じる事があるのでご紹介。
まあつまり、自分が書いた事が誰かに大きな影響を及ぼすかもしれませんよ、という話。

僕はプロではないが、こんな事があった。
ある女子大学生のインタビュー記事を会社で運営しているサイトに掲載し、facebookでシェアしたのだ。
もちろん、多くの人に見てもらいたいと思ってはいたが、何かを意図したわけではない。
ところが、その記事が”バズ”った
100近いシェアをされ、イイネ数は700件。結果的に、そのインタビュー記事には1500位のイイネが集まった。

それで終われば「うわーネットってやっぱり凄いね」で終わるのだが、問題はそこからだ。彼女のFacebookに様々な人からメッセージが届くようになってしまった
スパムではなく、彼女の話を見た企業からのオファーメッセだったのでむしろ喜ばしい事なのかもしれない。
でも、一歩間違えれば危険な目に合う可能性だってあったわけだ。

何故ネットに書くのか、という話

プロのライターさんや仕事で書く事をしている場合は改めて考えるまでもないだろう。
何故、ネットに書くのか、という話。
SNSの普及で、誰でも文章を書いて発信する事が出来るようになった。
言ってしまえば、あえて書く必要がない人でも情報発信をする事が出来るようになったわけだ。

それは素晴らしい事でもあるのだと思う。ただ同時にやはり、何故ネットに書くのか、という事を改めて考える必要もあると思う。

ネットは、不特定多数に見られる事を前提としている。インターネットの世界は、ワールドワイドウェブ(www)の哲学がある。
上記の僕のように、全く知らない人めがけて、全世界中で読まれる可能性があるわけだ。
「いや、そんなバズるなんて滅多にないでしょう」という人もいるかもしれない。
「匿名だし、誰も見てないから大丈夫」という人もいるだろう。
「日記のつもりで書いているだけ」なんて人も多そうだ。

であるならば改めて聞こう。
「何故、ネットで書くのか?」

わざわざ書いて発信している以上、誰かに読んでもらいたい筈だ。
本当に読まれる事を前提としていないなら、Wordか何かで日記として記録しておけばよい。
それを発信する以上、多少なりとも承認欲求があるはずなのだ。そこは否定させない。

誰かが傷ついているかもしれない

ネットでは本音を書きやすいかもしれない。
”書く”という行為を通じて自分の思考が整理され、普段の発言よりもより精度の高い発言が書けるかもしれない。
ただ、気をつけないといけないのが、その文章で誰かが傷ついているかもしれない、という事だ。

ブログを始め、自分専用のサイトは、自分が神だ。無意識の承認欲求があるとはいえ、その世界では自分しかいない。
だからついつい万能感を持って、偉そうな事を堂々とドヤ顔で語ってしまいがちだ(自戒も含む)。

先日、僕自身も似たような経験をした。
全く意図はしていなかったのだが、僕の、というかこのサイトのある記事を読んだ人に誤解を招いてしまったのだ。
幸い、誤解だという事は説明できたし理解してもらったので大事には至らなかった(というかこの記事も見ているかもしれません。すいません)。
ただ改めて、自分の書いた文章が誰かの目に入った時、自分と意図してない解釈をする可能性があるのだという事を身をもって学んだ。
文章が、一人歩きをしてしまうのだ。

それこそ誤解なきよう念のため書いておくが、僕はインターネットを使った情報発信は大賛成だ。
文章力も勿論、論理的思考力や自己分析などが捗る絶好のツールだと思う。
ただそれらは、”誰かに読んでもらう事を前提に書く”事によって促進される。日記と違うのはそこだ。

だから、どんどん書いたほうがいい。ただやはり気をつけてほしい事。結論としては冒頭にご紹介したブログの引用で終わりたいと思う。

「でも、自分の影響力が大きくなるということは、それだけ自分や誰かの人生を壊す可能性も大きくなっていることを、発信者は理解しておかなければいけないと思います」

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