メルカリ始めました▷

やりたいことは見つけなければならないのか

やりたい事をみつけよう、という大罪

僕が大嫌いな言説にこれがある。
「やりたい事をみつけよう」。

これはもう、こんな事を若者に言う大人は本気で人間性を疑う。
大して考えてないからこういう事を言う。

僕がこの説が大嫌いな理由の最大なのはこれだ。
[clink url=”http://strobolights.xyz/web/2015/09/04/lostjob/”] 将来やりたい事を見つけたとして、それが将来無くなっている可能性が高い。
であるならば、今の時代の選択肢から考える事がナンセンスだ。
いかにも素晴らしい事みたいな雰囲気で語られるこの言説が、僕は本当に嫌いだ。

苦しむ若者を増やすな

だいたい、やりたい事は見つけるものではない
そこにあるものだ。もしくは自然と生まれてくるものだ。

自然にやりたい事を持っている若者を僕は否定しない。頑張って欲しいと思う。
でも、大人達の戯れで”やりたい事を見つける”必要は断じてない。

あれやこれや考えたとして、やりたい事とやらは見つからない。
いろんな事を試して、「これだ!」となる可能性もあるが、それはもう交通事故に近い確率だ。

だから、やりたい事が見つからなくても、頼むから苦しまないで欲しい。
「私はダメな人間だ」なんて思わないで欲しい。

だいたい、大人の皆さんはやりたい事を試行錯誤の末に見つけたのだろうか。
目の前にある仕事を、日常を、「これはこれで楽しいな」と思って日常を過ごしているんじゃないだろうか。
そしてそれは、そんなにダメな事なのだろうか。

僕は、それは素晴らしい事だと思う。目の前の事を愛して、何が悪いのか。

大切なのは、「気持ちいいと感じるもの」を探す事

僕は、やりたい事はみつけなくてもいいけど、好きな事、気持ちいい事はみつけて欲しいと思う。

人間は、万能ではない。好きな事も嫌いな事もある。
だから、自分がどんな事をすると気持ちよくて、どんな事をするとストレスに感じるかをみつけて欲しい。
抽象的でも構わない。
かっこつけずに、苦手なものは苦手、と認めて欲しい。
自分のために、自分に嘘はつかないで欲しい。

それをしっかり自分で認識しておけば、多分迷わない。
この先どんなに道が荒れようとも、苦労はするだろうけど迷わない。
思い込みのような無理やりひねり出した「やりたい事」は将来なくなるかもしれないけど、
あなたが”好きな事”はなくならない。形を変えて、そこにある。

それを見つけるためにも、僕たちがしなくてはならない事は二つだ。
一つ目は、行動する事。行動しないと、自分の好き嫌いはわからない。
二つ目は、棚卸しする事。行動した事に大して自分なりに振り返って分析する事だ。

世ではそれを、自己分析、という。
自己分析についてはまた今度書いてみようと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です