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優秀の定義

“優秀”な人に憧れる人は多いだろう。優秀じゃないよりも優秀の方がいいに決まっている。

学生の多くが”優秀”という言葉を使う。「優秀な人が多い会社」とかなんとか。

まあ、気持ちはわかる。でも僕はそこに、違和感をいつも感じる。
というか、優秀優秀と連呼している人を見ると、はっきり言って「この人はちゃんと考えてるのかな」とすら思う。
優秀という言葉、思考停止ワードなのではないだろうか。

優秀について考えたことはあるだろうか

仕事上、色んな業種の人と仕事をしてきた。数えたことはないけど多分500社位。
その数が多いか少ないかはどうでもいい。いろんな世界の人たちと一緒に”仕事”をしてきた事が大事なのだ。

そして思うのは、それぞれの世界で求められている能力は異なる、という事。

例えば、一般的に”優秀”と言われがちな頭の回転の速さやロジカルシンキング能力をあげよう。
これが備わっている人は優秀だとされ、多くのビジネススクールで日々MECEがどうだとか言われている。
ただ間違えてはいけないのは、これらはただの手段の一つだという事。

ロジカルシンキングがまるで通用しない世界

僕が以前よくお世話になっていた業界の一つにマスコミメディア業界がある。
この業界、更に具体的に言うと企画やコンテンツを考える人たち。彼らが論理的に物事を考えているだろうか。
答えは否である。

こんな事があった。
某マスコミ大手企業が学生向けにワークショップを行い、学生からでたアイデアにフィードバックを行う。その際にそこの社員さんが審査の際に言った事。

「他の会社はきっと論理性とかで審査するんでしょうけど、うちら関係ないですからね。面白いか面白くないか。それだけ。だからこういう審査は意外と難しいなあ」

なるほど、と。論理的に導き出されたコンテンツが面白い筈がない。
そこでは論理から外れた奇抜さが求められる。

こんな記事もあった。
「ワケのわからないことを言ってる人は才能がある」コルク佐渡島庸平が明かす売れるマンガ家の見極め方 – どこでも地元メディア ジモコロ

“ワケがわからない”って要素はすごく重要なんです。うまく言葉にできないものが世に出るからこそ、「こんなの今まで読んだことなかった!」って驚きにつながるわけで。

つまり、優秀の定義は生きる世界によって異なる

例えばイチローにサッカーをやらせたら、サッカーが上手な中学生とかにも負けるのではないだろうか(いや、イチローのサッカーの腕前は知りません)。
つまりそういう事だ。汎用的な能力など、必要ない。

突き抜けた人材になりたい人の場合は特にそうだと思う。
突き抜ける、というからには物凄く突出した部分とそうでない部分が必要だ。

IT企業を支えるスタープレイヤーといえばエンジニアだが、知り合いのITの人(ちなみに俗にいう”優秀”な人が集まってると言われる会社だ)はこんな事を言っていた。
「うちの会社はろくに人とコミュニケーション取れない人がゴロゴロいる。でも、プログラミングはすごい」と。

自分が生きる道があって、そこの中での比較なら分かる。その中で優秀かそうでないかは議論しやすい。
どこかの世界では優秀でも、別の世界では通用しないのだ。
全てがこなせるスーパーマンは、複雑多様化した現代の世界ではありえないだろう。

学生だから、まだ生きる世界が決まっていないから仕方ないとは思う。
ただ”優秀”という言葉を発するとき、それが何を意味しているのかを自分なりに考えてほしいと思う。
あなたが本当に欲しい能力は何だろうか?

まあ、そつなくいろんな事をこなせる人になりたいというなら話は別だけど。

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